伊豆城ケ崎

2021年度クラブ主催山行の最終を飾る「伊豆城ケ崎ピクニカルコ-スと古道巡り」が、4月1日、前夜から降り続く大雨の中、8名のメンバにより敢行された。1月から爆発的に感染拡大したコロナ感染流行第6波によって催行中止が続き、3か月振りの催行となった。 関東地方を通過中の強力な南岸低気圧は、4月1日朝には房総沖に抜け、午前10時ごろには雨はやみ、その後は青空が広がるとの天気予報を信じて、厚木市を午前7時に出発。大雨が降りしきる中、10人乗りのワゴン車で伊豆に向かった。

計画書

実施報告

城ヶ崎海岸の代表的景観である柱状節理溶岩から切り出した六角形状石柱に刻まれた案内標識

本日のスタ-トポイント「富戸三島神社」に予定より約50分遅れて10:50AM到着。ほぼ時を同じくして、雨がやみ、雲間から徐々に青空が広がり、予報通り天候が急激に回復したが、北風が冷たい冬を思わせる寒い一日であった。

立派な社殿の富戸三島神社は、由緒ある延喜式内神社だそうだが、今年のNHK大河ドラマで放映中の「鎌倉殿の13人」の冒頭部分ですでに放映済みであるが、伊豆に流刑になり、この地の豪族「伊東祐親」の監視下にあった源頼朝が、その娘「八重姫」と恋仲になり、やがて八重姫が頼朝との子「千鶴丸」を出産したという。この事実を平清盛に知られるのを恐れた伊東祐親が、家臣に命じて伊東大川上流の稚児ヶ淵に赤子の千鶴丸を投げ入れたという伝承に関わる人気の旧跡だという。

スタ-トは伊東祐親の娘「八重姫」が頼朝の子「千鶴丸」を生んだが、祖父の祐親に殺され、この地に遺体が流れ着いた千鶴丸を供養した神社として、最近人気の富戸三島神社。
この付近の海岸に流れ着いた立派な産着を着た「千鶴丸」の遺体を横たえたと伝えられる「産衣石」や竜宮神社を参拝後、宇根展望台から大展望を楽しんだ。

やがて海に流れ出た「千鶴丸」の遺体が、富戸宇根の海岸に流れ着いたという。神社からすぐ近くの宇根の海岸に下ると、流れ着いた立派な産着を着た「千鶴丸」の遺体を発見して載せたと伝えられている「産衣石」や、地元の漁師の海の安全を祈願して祀られた「竜宮神社」を参拝・見学し、半島状に突き出た溶岩流の先端に設けられた「宇根展望台」から、左右に広がる柱状節理の断崖絶壁の変化に富む景観や相模湾の海上に浮かぶ伊豆大島の最高峰標高758mの三原山が、真っ白な雪を戴いているのをはっきりと目視できた。昨夜からの大雨が、三原山では雪になり、大変珍しい4月の冠雪となったようだ。そういえば、今朝伊東付近の海岸を走る車窓から、全山うっすらと雪化粧した丹沢大山の姿も目撃した。

スケジュールの都合で、実施日を1週間延期した4/1は、伊豆のソメイヨシノの満開日となり、また、この付近に多く見られる純白の花を咲かせるオオシマザクラも満開で、紅白の桜花の見事な競演を、いたるところで楽しませてくれた。

宇根海岸から富戸漁港に至る道筋には、約100本の早咲きの城ケ崎桜の並木があり、咲き残った花を期待したが、すでに葉桜であった。ちなみに、城ケ崎桜は、寒緋桜とオオシマザクラの自然交配種である河津桜と大島桜の交配種で、2月上旬~2月中旬頃に見頃を迎えるという。

宇根展望台から富戸漁港に続く歩道には、今まさに見ごろを迎えたソメイヨシノとオオシマザクラが競って咲く紅白の桜花の競演が見事だった。
ぼら納屋近くの突き出た岩場の上に建つ魚見小屋。入江に入ってくるボラの群れを見張る江戸時代からの小屋で、静岡県内に現存する唯一の魚の見張小屋だという。

富戸漁港を横切って、巨大な六角柱状節理の溶岩に「城ヶ崎ピクニカルコ-ス」の文字が刻まれた道標に導かれて、歩道に入り、静岡県に1軒しか現存していないという文化遺産指定の「魚見小屋」を経由して、リーダが昼食席を予約してあった「ぼら納屋」に正午10分前に到着。

茅葺屋根のぼら納屋は、江戸時代には、ぼら漁を差配する役人が詰める小屋であったそうだが、今では、地魚料理が評判の食事処となっている。

江戸時代には、代官の家臣が詰めていたという「ぼら納屋」。
今は、地魚を提供する食事処。この日の1番客として入店。
金目鯛の煮つけやズケ丼をおいしくいただいた。

TTCメンバ8人が、本日の口開け客のようで、本日おすすめの金目鯛のズケ丼や金目鯛の煮つけ定食をおいしくいただいた。

腹ごしらえと十分な休憩をとって、元気を回復したメンバは足取り軽く、ピクニカルコ-スの核心部を進んだ。幕末のペリ-来航の後に、江戸の守りとして、数門の大砲を並べた砲台が設置された跡地に、レプリカの大砲が1門置かれた砲台跡を見学して、城ケ崎北部最大の見所「門脇吊橋」を渡り、門脇崎の高台に聳える高さ25mの白亜の灯台「門脇灯台」に向かった。灯台最上階の展望台を目指して、階段を上り始めたが、2階テラスから上は、コロナ感染対策で、通行止めが解けず、残念ながら灯台最上階の展望テラスからの大展望は叶わなかった。

城ヶ崎北部海岸沿いに付けられたピクニカルコ-ス最大の見所「門脇吊橋」。断崖をつなぐ長さ48m、海面までの高さ23mの頑丈な吊橋で、橋上から絶景が一望できた。
吊橋を渡った先の高台に聳える門脇灯台は1960年に建築された高さ24.9mの灯台。普段は展望台まで自由に登れるが、今はコロナ対策のため、2階テラスまでしか登れない。

門脇崎からピクニカルコ-ス終点の海洋公園に向かうコ-スに入ると、絶壁の上から波打ち際へと、階段のアップダウンが続く、手ごわい遊歩道歩きに変わる。

左側の絶壁間近には黒松の大樹が目立ち、右手の溶岩台地には、常緑樹や落葉樹の原生林が広がり、すれ違うハイカ-の姿もまばらとなり、静かで自然豊かなハイキングが堪能できた。

北側のぼら納屋から南側の八幡野漁港までの約10kmの断崖続く海岸沿いに城ケ崎自然探求路が整備されており、今回は北側のピクニカルコ-スを中心に歩いた。
高さ40~50mの溶岩の柱状節理の断崖が続く、城ケ崎海岸の代表的景観。約4000年前の大室山噴火によって海まで流れ出た溶岩流が固まってできた独特な地形だという。
断崖の上から下を覗くと、断崖に波が打ち付けられる度に水飛沫が上がって、白く泡立つダイナミックな景観に非日常でしか味わえない新鮮な感動を覚えた。

ピクニカルコ-スの終点となる海洋公園まででは、少々歩き足りないCLの提案で、城ケ崎自然研究路を南に1kmほど歩いた先にある、日蓮上人伊豆法難の霊跡地「俎岩」まで足を延ばすことになった。目的地の俎岩は、日蓮宗蓮着寺の奥の院から見下せる、日蓮崎の絶壁下の波が打ち寄せる小さな岩礁である。

鎌倉幕府を批判した日蓮が、1261年鎌倉幕府にとがめられて、伊豆に流罪となり、俎岩の上に置き去りにされたという。それを目撃していた地元の漁師に救われ、1263年に赦免されるまで、近くの小屋(現在の奥の院)に隠れ住んだという。

相模湾の海原の先に浮かぶ伊豆大島の高みには、昨夜から今朝にかけての降雪で、山頂部を雪化粧した三原山が終日望めた。
鎌倉幕府を批判した日蓮が置き去りにされたとされる日蓮崎断崖下の「俎岩」が望める奥の院まで足を延ばした。遠方に伊豆七島の一つ「利島」の島影が望めた。

1506年、小田原北条氏今村若狭守によって、俎岩近くの高台に本堂が寄進され、日蓮宗蓮着寺が開山されたという。

奥の院の参拝と俎岩の見学が済んだあと、0.7kmほど離れた場所にある蓮着寺本堂境内に戻り、本堂やボケ封じの神様として霊験あらたかな「ぼけ除け妙法地蔵」を祀る「三十番神堂」を参拝し、日本最大の「ヤマモモ」の大樹(樹高15m、幹囲7.2m、国の天然記念物指定)を見学してから、蓮着寺駐車場に待機中の、ワゴン車に搭乗して、帰路に就いた。

漁師に助けられた日蓮が約3年隠遁していたこの地に、小田原北条氏今村若狭守によって1506年に日蓮宗蓮着寺が創建された。境内に日本最大のヤマモモの大樹がある。
本堂横には霊験あらたかなボケ除け妙法地蔵尊を祀った「三十番神堂」があり、ご利益を授かろうと、本堂参拝を後回しにして、熱心にお参りするシニアメンバもいた。

本日の行動は約8kmのハイキングコ-スを約12000歩、正味2時間35分を要して歩き、行動時間は4時間45分と記録された。久しぶりのハイキングで全員ほど良く疲れ、充実した一日だった。