戸隠・鬼無里奥裾花
連休明けの5/9(月)早朝、メンバ11名が14人乗ワゴン車で、厚木市を出発し、戸隠に向かった。
今回の山旅は、この時期、奥信濃の戸隠と鬼無里奥裾花に一斉に開花する水芭蕉の群生地を訪ねることを主目的とし、天岩戸の神話で活躍した神々を祀る戸隠五社と7年振りに前立ご本尊開扉中の善光寺に参拝すること。歴史ある戸隠神社宿坊に宿泊して、戸隠そばの本場の味を堪能すること。また、コロナ感染が十分に収束しない中で、安全安心な山旅にするため、蜜状態になる交通機関での移動中、並びに宿泊先では、不特定多数の第三者と長時間接触することがないよう、ワクチン3回接種済みメンバに限定した貸切・団体行動を基本とした。
計画書
実施報告
厚木市から5時間余を要して、戸隠奥社入口に到着。外はしとしとと氷雨が降る生憎の天候。完全雨装備に身を整え、大鳥居を潜って、参道を奥社に向かう。標高1200m代のこの付近では、山桜や八重桜が見事な花を咲かせ、参道には、水芭蕉を筆頭に、リュウキンカ、カタクリ、ニリンソウ、キクザキイチゲ、エンレイソウ等の春の花々のお出迎えを受けた。
参道の中間地点にある随神門を潜ると、鬱蒼とした杉並木となり、急坂にかかると、残雪が目立つようになる。平安時代以前に拓かれたという修験道「蟻の塔渡り」の難所で知られる戸隠山登山道を左に見て、鳥居を潜ると、岩壁を穿った高台に鎮座する戸隠奥社と九頭龍社にようやく到着、代わる代わる参拝を済ませた。
古事記や日本書記に記載されている国造りのエピソ-ドとして知られる天照大神が隠れる天岩屋を、天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)が神力をもって岩戸を開けた神話の続編として、岩戸が高天原から、この戸隠の地に落ちて、戸隠山が誕生したとする伝説があり、天手力雄命を祀る社が、紀元前210年に、この地に創建されたという。また、九頭龍大神を祀る九頭龍社は、戸隠最古の神社として、神の宿る戸隠の地主社とされ、多大な信仰を集めているという。
随神門から参道を西に外れ、森林植物公園内の水芭蕉自生地に向かった。この先「水芭蕉園」の道標に導かれて,水芭蕉のこみちと名付けられた真新しい木道を進むと、疎らな雑木林の中に広がる湿原の中に、緑の葉の中心に純白な仏炎苞が起立した水芭蕉が隙間なく密集して、彼方まで広がる光景が、突然目の前に広がった。まさに今朝一斉に開花したかのように一点の汚れもない純白の仏炎苞が雨に濡れて咲く姿は、ただただ美しく、感嘆の声をあげながら、夢中でスマホを向けて、感動の景色を収めるのに夢中だった。「小川のこみち」と名づけられた木道を反時計方向に進むと、どこもかしこも、今を盛りに咲き誇る水芭蕉の楽園に、歓喜しながら歩んだ。一体この森林植物園内に何10万株の水芭蕉があるのだろうか?
5月9日 戸隠森林植物園内の水芭蕉自生地を歩く
次の目的地鏡池には、徒歩で向かう予定であったが、森林植物公園内から鏡池方面に向かう複数の遊歩道が、雪解け後の整備が進まず、いずれも交通止めのまま。やむなく奥社入口まで歩いて戻り、以後の立ち寄り先は、ワゴン車で向かうことにした。
最初に立ち寄った鏡池は、雨に煙ぶり、戸隠山は霧の中だった。次は、天照大神に天岩戸を開けさせるアイデアを出した知恵の神「天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)」を祀る中社。社殿に参拝した後、境内のご神木や樹齢800年超の三本杉を見学した。
四社目は、天岩戸の前で面白おかしく舞を舞った女神「天細女命(あめのうずめのみこと)」を祀る火之御子社。最後に参拝した、約200段の石段の上に立派な社殿を構える宝光社は、天八意思兼命の御子神「天衣春命(あめのうわはるのみこと)を祀るという。 戸隠神社に参拝して御神益を頂くには、五社に祀られる天岩戸開放に功績のあった神々と九頭龍大神を主祭神とする戸隠五社すべてを巡るのが地元の習わしだという。我々一行も、古来からの習わしに倣い、悪天候の中、戸隠五社すべての参拝を終えて、今夜の宿泊先、戸隠神社宿坊「山本館」に落ち着いた。
5月9日 戸隠神社五社巡り
我々が宿泊先に選んだ「山本館」は数ある戸隠神社宿坊の中で、50数代目/800年超続く由緒ある宿坊で、屋敷内には、九頭龍大神を祀った立派な九頭龍社の神殿を有する。宿坊はエレベ-タ付鉄筋コンクリ-ト造3階建で、館内は総べてバリアフリ-のホテル並みの設備。そのうえ、素晴らしい戸隠そば懐石の夕食が評判の宿坊だ。今夜の宿泊客は、ドライバ-を含めたTTC12名のみ。12畳和室4部屋に3名ずつ分散、大浴場で汗を流してから、部屋でゆったり寛いだ。6:00pmからのお待ちかねの戸隠そばづくしの「そば懐石」の夕食は、評判どおりの地元戸隠産のそば粉を原料にして創作された、見た目の美しさも、その味も絶品の料理の数々が、次から次へと運ばれてきた。どれも見たことも食べたこともない素晴らしい創作料理の数々だった。
締めの戸隠そばは、戸隠竹細工として有名な竹製の平ざるの上に、薫り高い打ち立てのそばが、ぼっち盛りという戸隠独特の盛り付けで出された。まず、何もつけずに味わい、次は、自家製のそば塩を振りかけて味わい、最後は、醬油だれで味わうよう、すすめられた。そのうえ、ご主人夫妻はじめとする家族総出の心温まるご接待をしていただいた。
翌朝は一転快晴の空。下界は一面雲海がたなびき、西方の高みには朝日に輝く、武田菱で、一目でそれとわかる五竜岳と、見慣れた双耳鋒が重なって、一つの峰にしか見えない鹿島槍岳の雪鋒の雄姿を仰いだ。庭には、桜、シャクナゲ、シラネアオイ、カタクリ、ニリンソウの花々が一斉に咲き競い、ようやく雪が解けて遅い春が訪れた奥信濃の山里を華やかに彩っているようだった。
事前にお願いしておいた、朝7:05amからの山本坊九頭龍神殿での朝拝に参列。神職は山本館ご主人の90歳になるお父様。まず、戸隠神社の謂われや、柏手の打ち方、玉串を神前に捧げる作法等のレクチャ-を受けた。九頭龍大神の神前で、祝詞をあげたのち、参列者全員の住所氏名を告げて、戸隠に祀られる神々に参列者の安寧を祈り、参列者が一人ずつ神前に進んで、玉串を供えて,2礼2拍手の礼法をもって、お祈りを捧げ、約50分に及ぶ、荘厳な雰囲気の中で執り行われた朝拝が終了。各自名前入り九頭龍大神の神札が収まった御守を頂いた。
山本館の奥様の実家の戸隠越水ヶ原白樺荘が所有する水芭蕉が見ごろを迎えているので、ぜひ立寄ってみたらと勧められ、鬼無里に向かう前に立ち寄ることにした。昨日の水芭蕉園に比べると、少し規模が小さいが、朝日を浴びて白さが一段と鮮やかな仏炎苞が、広大な湿原に所狭ましと起立する様は、壮観の一語に尽きる。
また、水芭蕉と紫色のカタクリの花、あるいは水芭蕉と黄色いリュウキンカの花のコラボレーションがあちこちで見られた。林間から垣間見える戸隠山塊の遠景が、群生する水芭蕉の美しさを引き立たせる役割を果たしているようだ。
白樺荘の奥様の話によると、今朝遅霜が降りたので、すぐに仏炎苞の先端から黄変して、急激に容姿が醜くなってしまうという。今朝は、最も美しい水芭蕉の姿が見られる今年最後の日になりそうなので、良い時に見に来られたとの言葉を聞いて、戸隠の水芭蕉が最も美しい最後の日に訪ねることができた幸運を喜んだ。
昨日、悲惨な景観しか見られなかった鏡池。今日の快晴の空のもと、戸隠山の姿を水面に映す美しい鏡池の景観にチャレンジすべく、再度立寄った。予想どおり、新緑に囲まれた森の上に起立する戸隠山本峰の岩峰群と西岳岩峰群が、迫力をもって迫り、少しさざ波が立つ水面に逆さの山姿を映す、戸隠有数のビュ-スポットの景観を存分に味わうことができた。
5月10日 戸隠越水ヶ原の水芭蕉群生地を訪問
戸隠での行事すべて済ませ、県道36号線を走って鬼無里に向かった。途中、大望峠展望台(1050m)に立ち寄り、西側に広がる北アルプスの大展望と北側には間近に迫る戸隠西岳岩峰群の展望を楽しんだ。眼下に点在する鬼無里の集落の先に広がる、雪を戴いた北アルプスの峰々。北は白馬三山の天狗尾根から、不帰の険、唐松岳、五竜岳、八ツ峰山群、鹿島槍岳、爺ヶ岳、針ノ木岳、蓮華岳と連なる後立山連峰が間近に迫り、さらに南に、餓鬼岳、燕岳、大天井岳と続く、北アルプス東側の峰々が同定できた。
鬼無里の中心街から裾花渓谷の林道北上し、約1時間を要して、奥裾花観光センタ前の駐車場に到着した。ここから奥裾花自然園の入口までの約3kmの林道は、普段は歩かなければならないが、数年前から、水芭蕉シーズンの4/29~5/15間のみ、毎日5~6便のシャトルバスとJR長野駅から観光センタまでの直通バスが運行されるようになった。
奥信濃の山旅で出会った山々の風景
シャトルバスを待つ間に、早々に昼食を済ませ、奥裾花自然園に向かった。本来ならば、平成の森広場まで入るはずのバスが、林道路肩の崩落のため、手前800m地点が終点になっていた。何しろこの辺は、戸隠以上の豪雪地帯。ラニ-ニャ現象で厳冬の予報が出されていた今冬、標高1050mの戸隠宝光社付近で、平年の1.5倍の約4mの積雪があったという。さらに標高1200mの山深い谷間のこの地では、さらに多くの積雪があったものと想像される。また、奥裾花自然園は、両岸が切り立った裾花川に沿って作られた林道を、北に20kmほど遡った標高約1300mの裾花川支流の元池沢源流部にある。奥裾花渓谷沿いの両岸の山肌の多くは、雪崩でつるつるに磨かれた、黒光りのする一枚岩や波打った地層がむき出しになった断崖が目立つ。
そのため、奥裾花自然公園が、開園予定日の4/29に開園できるかどうかは、道路の除雪作業の進行状態と、除雪後の雪崩で傷んだ道路の補修状況次第だという。そのため、予定通り開園できるかどうか判断できるのは、毎年4/20以降になるという。奥裾花の湿原に群生する水芭蕉の開花時期に間に合うよう、毎年林道の除雪と維持管理に大変な努力をしていただいているそうだ。
奥裾花自然園の管理地内の入ると、早速雪道となり、昭和39年に水芭蕉の大群生地があることが最初に発見された今池湿原に向かった。周囲約1kmの広大な湿原にまだら模様の残雪が残り、雪が解けた場所には、水芭蕉が所狭ましと密集し、白色の仏炎苞は、数百mの距離では、白色の米粒に見え、さらに遠方では、白色がかった褐色の絨毯が広がったようにしか見えなかった。発見当時の調査によると、今池湿原に咲く水芭蕉は、81万株とカウントされ、尾瀬を凌ぐ、本州随一の水芭蕉群生地であることが分かったという。今日の今池湿原は、総面積の1/5位は雪のおおわれているとはいえ、今池湿原の岸辺から見渡せる水芭蕉は、一目10万本というところだろうか?それに比べ戸隠の水芭蕉は、花はほとんどすべて見ごろに咲きそろって美しかったが、一目1万本ぐらい? で、そのスケ-ルは、一桁落ちの感が否めない。
今池湿原の周囲を2/3周ほどしたのち、ブナの森を北に標高40mほど登った先にある、もう一つの水芭蕉群生地「こうみ平湿原」を訪ねた。周囲600mの小ぶりな湿原で、湿原内にはブナが多く生え、湿原の2/3はまだ雪に埋もれていたが、雪が解けた場所に、水芭蕉が咲き始めたばかりのようだった。2つの湿原では、その趣も大分異なるうえ、こうみ平湿原の水芭蕉は、6月上旬に入っても、まだまだ見頃の仏炎苞が見られそうだ。また、こうみ平湿原の東側には、新芽を出し始めたブナの原生林が広がっているが、その原生林内には、まだ1m以上の積雪が残り、除雪等の登山道の整備がなされていないため、進入禁止のロ-プが張られたままだった。
今池湿原の水芭蕉は、雪が解けて、ようやく芽を出し始めたものから、盛りを過ぎて、仏炎苞の先端が茶色く変色したものまで、場所によって多くの開花状態が見られた。しかし、奥裾花自然園には、昨日みぞれが降ったという。現在見頃を迎えている多くの純白の仏炎苞は、今後数日のうちに、茶褐色に変色してしまいそうだ。
5月10日 水芭蕉咲く鬼無里奥裾花自然園の風景
話が少々飛ぶが、戸隠山塊の盟主高妻山の山姿を西南側の山麓から眺めた方は、滅多にいまい。高妻山と乙妻山は、奥裾花自然園から、至近距離にあるにもかかわらず、深い谷と、前山に阻まれ山姿を望むことができない。そこで、地形図とにらっめっこして、奥裾花林道上から唯一高妻山が見えるポイントを発見した。帰路、観光センタの駐車場から林道を5分ほど下ると、濁川が裾花川に合流する地点に出会う。濁川右岸に沿って付けられた林道が、合流地点手前で、ヘアピンカーブの急坂を下り始める地点に達すると、正面に裾花川支流の地獄谷奥まで丸見えの場所があり、その直上に高妻山と乙妻山の全容がくっきり起立して見える。その山容は、東側からよく見るピラミダルな美しい姿とは似ても似つかない、どっしりとしたボリュ-ムある山姿である。一見は百聞に如かず。このポイントで撮影した高妻山の写真を掲載してあるので、ご興味のある方は確認してみてほしい。
そのあと、鬼無里地区中心部の「旅の駅鬼無里」に立ち寄り、山菜やお土産を買い求めたが、おやきの名店いろは堂本店は、火曜日定休とあって、楽しみにしていたおやきにありつけなかったのは残念だった。
コロナ禍で1年遅れの開催となった、7年毎開催の前立本尊ご開扉中の善光寺に立ち寄り、本堂前の広場中央に建つ巨大な回向柱に手でふれ、家内安全と無病息災を祈った。開扉中の厨子内に鎮座する前立ご本尊とひもで結ばれた回向柱は、前立ご本尊と一体であり、回向柱に手を触れながら、願いごとを唱えれば、願いが叶うとされる。今回のご開扉は、通常より1ケ月長いおおよそ2.5カ月間。平日のこの日の午後4時ごろの善光寺の参拝客は意外と少なく、ゆっくり参拝を済ませ、大門手前まで参道を散策した。いろは堂善光寺参道店を見つけ、鬼無里で食べそこなった、いろは堂のおやきに、善光寺でようやく巡り合った。買い求めたおやきを、店前の長椅子に座って、早速味わった。TTCメンバが一斉に買い求めたため、おやきは完売となり、店じまいになった。
午後9時過ぎ、厚木市に無事帰着。TTCメンバ11名による2日間にわたる奥信濃の旅は、水芭蕉の大群落巡り、北アルプスや戸隠岩峰群の大展望、戸隠そばグルメ、戸隠五社巡りや宿坊神殿での朝拝参列、ご開扉中の善光寺参拝等々の盛りたくさんの体験をすべてこなし、久しぶりの宿泊旅を存分に満喫できた。