大菩薩嶺-A

TTC創立25周年記念大菩薩登山:Aコ-ス(上日川峠・大菩薩峠・大菩薩嶺・唐松尾根・上日川峠周遊)

計画書

実施報告

日本百名山完登者8名を含む11名のベテランメンバからなるAコ-スパ-ティ

TTC創立25周年記念行事として、大菩薩峠介山荘に1泊し、同山系を2コ-スに分かれての山行を、晩秋の11月第2週週末に実施した。そのうち、軽めのAコースには、1997年のTTC設立発起人5名を含む、60歳代~80歳代のシニアメンバ11名が参加しての実施となった。11/12朝、小田急線、JR横浜線、JR中央線の電車を乗り継いて、中央本線始発駅の高尾駅に向かったが、中央線荻窪駅付近の人身事故で、八王子から高尾に向かう電車も、その先の中央本線の列車も大幅に遅れ、下車駅の甲斐大和駅に到着したのは、計画より30分遅れの11:35AMになってしまった。予約しておいたタクシに乗り、登山口の上日川峠に到着したのは、計画より20分遅れの正午過ぎになったが、「ロッヂ長兵衛」屋外休憩卓をお借りして、昼食を摂ってからの午後1時の遅い出発となった。

大菩薩峠の登山口「上日川峠ロッヂ長兵衛」の屋外休憩卓で昼食を摂ってからの午後1時の遅い出発となる。
秋晴れの爽やかな森の中に続く旧甲州街道の裏街道「大菩薩峠道」を登って、介山荘に向かう。

福ちゃん荘で一休みした後、25周年記念イベント会場となる大菩薩峠介山荘に向かった。ここまで登ってくると、黄金の葉を輝かせるカラマツの葉もほとんど落葉し、大菩薩の山々は、すでに初冬の佇まい。快晴の青空から降り注ぐ木漏れ陽は暖かく心地よい。稜線に近づくにつれて展望が開け、樹間越しに姿を見せる富士山の姿を、歩みを止めて、ひとしきり眺めたりと、久しぶりに訪れた大菩薩の景観を存分に楽しみながら、予定通りの午後3時ピッタリに介山荘に到着。チェックインを済ませ、早速、外に出て、大菩薩峠標識を囲んでの記念撮影を済ませ、そのあとは峠からの大展望を存分に楽しんだ。
左手には、上日川ダム建設で出現した大菩薩湖の上に、ひときわ高く聳える富士山。その右手には、聖岳、赤石岳、荒川三山、塩見岳、農鳥岳、間ノ岳、北岳、鳳凰三山、仙丈岳、甲斐駒ヶ岳と、おなじみの南アルプスの雄峰が勢ぞろいしてのお出迎えに、感激しながらしばしの間大パノラマの景観に見入った。
ほどなくして、小金沢連嶺から縦走してきたBコ-スパ-ティが到着。峠付近の広場で、25周年記念イベントが始まった。やがて、西に傾いた太陽が、荒川三山(悪沢岳)の右肩に沈み、南アルプスの峰々が茜色に染まりながら、刻々と変化してゆく壮大な日没スペクタクルを暗くなるまで楽しんだ。

上日川峠から2時間を要して大菩薩峠に到着したAコ-スパ-ティ11名。
Bパーティが到着して、イベントが始まるまでの間、富士山や南アルプスの大展望を楽しむ。
大菩薩峠から望む富士山。南西方向にひときわ高く雲の上に聳え立つ。
イベントの最中に、西側に並び立つ南ア荒川三山悪沢岳の右肩に沈む太陽。左に続く山は赤石岳と聖岳。

翌朝、ごうごうと響く風の音で目を覚ました。外へ出てみると、風速10m強の西風が吹き、濃い霧が立ちこめて、視界は10m足らず。今日の天候は下り坂とは承知していたが、久しぶりで遭遇した「山の悪天候」に、少々気が滅入る。
こんな天候では、ご来光は無理だろうと思いつつ、東の奥多摩方面を眺めていると、風下の東の空は、霧が薄く、視界もそこそこありそうだ。もしかしたら?と少々期待しながら東の空を眺めていると、日の出時刻を過ぎたころ、東の空の一部が赤く染まってきたが、やはり厚い雲に阻まれて、太陽の姿は見当たらない。半ばあきらめかけていると、突然、雲の上に、太陽が昇って来るのを目にした。ほどほどに立ち込めた霧が、フイルタ-の役目を果たし、昇りくる太陽を肉眼で直視しても、それほどまぶしさを感じさせない。久しぶりに山小屋に泊まって、ご来光を拝みたいと待っていた、TTCメンバへのご褒美だったのだろうと感謝しつつ、カメラのシャッタを切った。
大菩薩嶺を越えて丸川峠から裂石に下山するというBコースパ-ティが出発するのを見送ってから約30分後、Aコースパ-ティも、同行希望者1名を加えた12名のメンバで、大菩薩嶺に向かって介山荘を出発した。何度も通い慣れたコ-スとはいえ、強い西風が吹き、濃霧で視界10~20mの悪天候の中の行動。コースを見失ったり、外さないよう、濡れた岩場で、足を滑らせて、転倒したり、滑落しないよう、お互いに声を掛け合いながら、親不知の頭、賽の河原、神部岩、雷岩の難所を越えて進んだ。
神部岩の手前で、甲斐市の腕章を付けた山岳パトロ-ルの男性に声をかけられた。実は昨日も、大菩薩峠に向かう途中の午後2時ごろ、同じ男性に声をかけられた。午後のこんな遅い時間に、大勢のジジババパーティが、どこに行くのか不審に思って声をかけてくれたようだ。「今日は介山荘泊まりです。」と答えると、納得して、気を付けて行ってらっしゃいと別れたところだった。今日は、こんな悪天候の中、どこに向かっているのか?心配して声をかけてくれたようだ。CLが、「ほとんどのメンバが、日本百名山を走破し終えているベテランぞろいで、大菩薩は何度も登っていて、安全第一で行動しているので、ご心配に及びません。それに今日は、大菩薩嶺に登ってから、唐松尾根を下山します。」と答えると、「それなら午前中に下山できますね。雷岩直下は、急峻で、岩がごろごろして危ないので、気を付けて下ってくださいね。」と言った後、「百名山を全部登るには、数百万円の費用がかかるそうですね。皆さんお金持ちなんですね。」と予想外のコメントを頂いて笑ってしまった。
そういえば、今回の大菩薩山行で気づいたのだが、山中で出会った登山者の大半は、若い青年男女のグル-プの他、子供連れのファミリィ-が目立ったが、我々のような高齢者だけのパ-ティ-にはほとんど出会わなかった。コロナ禍で、家にこもっていたこの2~3年の間に、山も世代交代が進んでいるようだ。

強風と濃霧の翌朝の大菩薩峠からのご来光。一瞬霧が薄れ、雲間から昇る太陽が奇跡的に姿を現した。
2日目の朝7時、強い西風が吹き付け濃霧に包まれた介山荘を12名のメンバで大菩薩嶺に向かって出発。
これから天候が段々回復するとの天気予報を信じ、視界約50mの強風の稜線を行く。
親不知、神部岩、雷岩と次々現れる岩場を慎重に通過。昔取った杵柄とばかり、足取りは軽やかだ。
午前8時を過ぎると、強風がやみ、霧が薄くなって視界が良くなり、時折青空が覗くまでに回復してきた。
日本百名山大菩薩嶺頂上に立って記念撮影。数えきれないほど立った頂上だが、やはりうれしい。

雷岩辺りまで来ると、強風が収まり、霧が晴れて、青空が広がり、下界の景色が望めるまでに天候が回復し、そのうち、笠雲を頭に戴いた富士山も姿を見せてくれた。
雷岩から日本百名山の一座である標高2057mの「大菩薩嶺」頂上までは、往復30分の道のり。皆さん、何度も踏んでいる山頂ではあるが、今回が最後の訪問になるかもしれないとの共通した思いから、全員一致で頂上を踏むことにした。
目的を果たしたのち、雷岩の南斜面に広がるお花畑の縁に付けられたゴロゴロ石の急坂を、標高差にして200mほど、慎重に下った後は、カラマツ林の中に続く唐松尾根登山道を、名残惜しむように、ゆった~り、のんびりと下った。途中、福ちゃん荘で一休みし、携帯電話が通じる雷岩から、タクシ-を呼び寄せてあった上日川峠までの標高差約500mの下りコ-スを、2時間余をかけて、景色を楽しみながらゆっくり下った。紅葉真っ盛りの奥日川渓谷と黄色基調の紅葉におおわれた山並みの景色をタクシ-の車窓から楽しみながら、甲斐大和駅に戻った。12:13発高尾行きの電車に乗り、いつもよりだいぶ早い時刻に帰途に就いた。

雷岩から褐色の草原となった唐松尾根上部のお花畑の急斜面を慎重に下る。展望が一気に開けてきた。
雲の中からなかなか姿を現さなかった富士山も、笠雲を被った姿で、ようやく姿を現した。