宮島・尾道・広島

 2022年11月下旬、日本三景の一つ、宮島の霊山弥山(標高535m)に登り、厳島神社を中心とした世界文化遺産の寺社を巡って、紅葉の名所として名高い宮島の秋を満喫する山旅を楽しんだ。また、前日には、尾道千光寺山公園から石畳の坂道を辿って、眼下に広がる瀬戸内の海に、島々が浮かぶ箱庭のような景観を存分に楽しんだ。また、最終日には、広島市内に移動し、原爆ド-ムや平和公園・平和記念資料館等を見学し、広島城や縮景園を訪ねた。
宮島のシンボル大鳥居の3年半にわたる大修理工事やコロナ感染流行によって、3年間待ってようやく実現した山旅。14人の参加メンバは、平均年齢74.8歳、日本百名山完登者10名の当クラブきっての超ベテラン精鋭メンバである。

計画書

実施報告

花崗岩の巨岩連なる世界遺産の霊山 標高535mの宮島最高峰弥山に登頂

◆11月26日(土) 尾道千光寺・市内ウオ-キング(歩行数:~17,000歩)
 小田原発6:56発の新幹線ひかりに乗車し、名古屋でのぞみに乗継ぎ、福山で山陽本線に乗替え、尾道駅に午前10時半過ぎに到着。対岸の向島(むかいしま)と200~300m幅の尾道水道で隔てる海岸通りを、行きかう船や渡船の船着き場、防波提の壁に尾道の風景画が描かれた「おのみち海辺の美術館」をそぞろ歩きして、千光寺山ロ-プウェイ山麓駅に向かった。乗車時間約3分のミニロ-プウェイに乗車し、尾道自慢の瀬戸内の大展望を堪能する間もなく、千光寺山山頂駅に到着。早速、大展望を楽しみながらの昼食を楽しんだ。
 最近完成した千光寺山頂上展望台に上り、360度の大展望を存分に楽しんでから、文学のこみちを辿って、千光寺に向かった。「文学のこみち」には、頼山陽、松尾芭蕉、十返舎一九から、正岡子規、志賀直哉、柳原白蓮、山口誓子、林芙美子等々、尾道ゆかりの25人の文人の代表作の一節や句詩を自然石に刻んだ石碑が点在している。千光寺は、806年創建と伝わる真言宗の名刹で、千光寺山の中腹に建つ。愛染明王を祀る鮮やかな朱塗りの本堂は、25寺ある尾道の仏寺のシンボル的存在で、縁結びのパワ-スポットとして人気があるという。参拝に訪れている大勢の若者に交じって、眼下に広がる大展望を楽しんだ。
 中村憲吉旧宅から、尾道のランドマ-ク「天寧寺海雲堂(三重塔)」を目指して石畳の坂道を下ったが、「猫の細道」の道案内に誘われて、細道に入ると、猫のオブジェが並ぶ異様な雰囲気の300m続く路地に迷い込んでしまった。沢山の猫に出会えるのかと思って足を踏み入れたのだが、本物の猫の姿は見かけず仕舞いだった。
やがて、楠の大樹が茂る艮(うしとら)神社に降り立った。創建806年と伝えられるこの神社は、尾道最古の神社だという。境内に茂る4本の楠は樹齢900年超と推定され、広島県の天然記念物に指定されている。とくに拝殿右側の楠は、幹まわり7mあり、高さ約3mの位置で、3本の大枝に分かれて、天に向かって威風堂々と枝を伸ばしており、今まで見た楠の大樹の中で、一番見事な立ち姿であると感じた。
尾道商店街に出て、尾道駅に向かった。昭和の雰囲気を感じさせる何か懐かしいレトロな商店が立ち並ぶが、地方都市でよく見かけるシャッタ街はほとんどない。特に目についた商店は、銭湯の看板と暖簾を掲げた店構えのまま、食堂を営む店があり、大勢の客が行列待ちをしていた。多分、人気のお店なのだろう。駅近くに、週末だけオ-プンしている「林芙美子記念館」があり、みんなで立ち寄った。尾道一の文学者と言えば放浪記の作者として著名な「林芙美子」。芙美子通りと地名がつけられているほどの地元の偉人のようだ。林芙美子は、小学校から尾道高等女学校を卒業するまでの間、この尾道で、少女期を過ごし、女学校在籍中から、小説家を目指していたらしい。
尾道駅まで戻り、広島に向かう列車の発車時刻までの約1時間を、自由行動とした。半数のメンバは、通りのあちこちで、いい匂いを漂わせているラーメンの匂いに誘われて、どうやら尾道ラーメンを食べに行ったようだ。

海岸通りをぶらぶら歩いて、千光寺山ロ-プウェイ山麓駅乗り場に向かう。
35分歩いて、千光寺山ロープウェイ山麓駅に到着。ロープウェイに3分乗車すれば、千光寺山頂上駅に到着する。
山腹に朱塗りの本堂が目立つ尾道のシンボル千光寺。縁結びのパワ-スポットとして若者に絶大の人気があるという。
千光寺山公園の展望広場で、絶景を見下ろしながら昼食を楽しむ。
山上から見下ろした尾道市街・尾道水道としまなみ海道「新尾道大橋」、その先に広がるのは瀬戸内海。
昼食後、尾道ゆかりの25人の文人の句碑・歌碑が点在する「文学のこみち」を下って、千光寺に向かう。
千光寺参拝と大展望を堪能した後、天寧寺海雲堂(三重塔)を目指して、石段と石畳の坂道を下る。
尾道のランドマ-ク天寧寺海雲堂は、市街地からも一目でそれとわかる三重塔だ。
806年創建の尾道一古い艮(うしとら)神社境内には、樹齢900年、幹回り7mの県指定天然記念物の楠の大樹が4本残っている。
昭和のレトロな雰囲気を漂わせている尾道商店街を歩いて、尾道駅に向かう。
銭湯の建物をそのまま食堂に改装して営業している食堂の前には、入店待ちの大勢の客の行列で賑わっていた。
尾道が輩出した偉大な小説家「林芙美子」の資料館を見学。代表作「放浪記」の直筆原稿や移築した東京新宿の旧宅等を見学。

この後、山陽本線から新幹線に乗り継いで、広島市に移動し、南口近くのビジネスホテルに早めのチェックイン。全国旅行支援割の手続きをスム-ズに済ませるため、ホテル側と綿密に事前打合わせを行って、準備万端整えておいたので、短時間でスム-ズにチェックインが済んだ。
 今日は土曜日、混まないうちに食事を済ませようと、10人は駅ビル「EKIE」1Fの広島焼店へ、4名は南口フォーカスビル内の広島焼店に向かう。EKIE店に向かったメンバは、広島焼元祖の店として人気の「みっちゃん」を目指したが、まだ午後6時だというのに、すでに1時間待ちの長蛇の列。一時間待ってもこの店で食べたいというメンバ6人と、こらえ性にないメンバ4人は、30分待ちの隣の「いっちゃん」に変更し、それぞれ、好みの食材をトッピングしてもらった広島焼を味わった。大阪のお好み焼きの変型バ-ジョン程度の知識しかなかったが、全員が絶品の味だったと絶賛。満腹・満足して、ホテルに帰還し、大浴場で汗を流すと、早朝からの行動で、疲れどっと出て、すぐに眠りついた。

一番人気の「みっちゃん」に6人のメンバが、辛抱強く1時間並んで待ち、待望の広島焼にようやくありついた。
こらえ性のない4人のメンバは30分待ちの隣の「いっちゃん」に移動し、広島焼をおいしくいただいた。

◆11月27日(日):宮島弥山登山後、大聖院・厳島神社・大鳥居等を巡り、島内に宿泊。(歩行数:~27,000歩)
 朝、広島市から宮島に移動し、紅葉の名所「紅葉谷公園」を通って、宮島ロ-プウェイ紅葉谷駅に到着。ロープウェイを乗継いて、10:20に獅子岩駅に到着。獅子岩展望台に立ち寄り、快晴の空のもと、瀬戸内海に浮かぶ、江田島や倉橋島をはじめとする多くの島々と、海上のあちこちに直線状に浮かぶのは、多分、広島特産の牡蠣の養殖筏だろうと想像しながら、大景観を楽しんだ。
ここから見上げる弥山山頂はまだまだ高い。一旦コルまで下ってから、標高差150m以上の登りが待っている。コルまで下ると、紅葉谷登山道から登ってくる登山者が合流し、登山道は一気に大賑わいになった。南側に広がる島々の大展望を楽しみながら、25分ほど登ると、弥山本堂と霊火堂のある、広場に到着。弥山一帯は、すでに古墳時代には、山岳信仰の場であったことを示す遺跡が発見されており、また弥山本堂付近からは、空海が開山する以前の奈良時代の緑釉陶器が発見されており、空海が開山する以前から、神の住む特別な山として信仰されていたようだ。その後の806年の平安時代初期に、空海が真言密教の修験道場として開山して以来、弥山全域が、山麓の真言宗御室派本山「大聖院」の境内とされ、山中には、諸堂が点在する、霊山となった。
虚空蔵菩薩を本尊とする弥山本堂と霊火堂は、空海が1200年前に山上で修行した場所に建立されたといわれ、その時、空海が焚いた焚火の火が、1200年間絶えることなく、この霊火堂内の囲炉裏火として、燃え続けていることから、「消えずの火」と呼ばれているという。霊火堂内に入ると、消えずの火に懸けられた大釜のお湯は、万病に効く霊水とされ、誰でもそのご利益をいただくことができる。コロナ禍以降は、備え付けの茶碗に代わり、使い捨ての紙コップになったと聞いていたが、その紙コップが見当たらず、霊水を頂けなかったのは、残念だった。
霊火堂右わきから、弥山山頂に続く登山道に入り、三鬼堂、観音堂、文殊堂を過ぎ、花崗岩の巨岩が重なって、トンネル状になった「くぐり岩」を過ぎて、頂上の大岩の基部を左にトラバ-スしながら、一登りすると、弥山頂上に到着した。ロープウェイ終点の獅子岩駅から頂上まで、2時間を要しての登山だった。宮島紅葉祭り最終日となる日曜日正午過ぎの弥山頂上は、好天に恵まれたこともあり、頂上広場も、3階建展望台も、若者グル-プや家族連れ、白装束の弥山登山講のグル-プ等で大賑わい。早速、頂上広場の一角に陣取り、大展望を楽しみながらのランチタイム。食事後、展望台の屋上に上がると、何も遮るものがない、まさに360度の大展望が広がり、この素晴らしい景色をしばしの間堪能した。
下山は、干満岩、大日堂を経て、大聖院への下山口となる仁王門まで辿った。これから始まる、十八町、約2km、標高差約500mの長丁場の大聖院下山コ-スに入る前に、一休みして、体力回復を図った。ロープウェイが開通した1967年以前の弥山登山は、表参道の大聖院コ-スを登って、阿吽2体の仁王像が守る、この仁王門を潜って、弥山山頂の聖域に入ったのだろう。しかし、当時の仁王門は、1999年の台風で崩壊し、今から10年前の2012年に、ようやく現在の仁王門が再建されたという。そんな訳で、門も仁王像もピカピカだった。
 下りコ-スは、南斜面の白糸川谷に沿って刻まれた、石段と石畳のよく手入れされた登山道で、木漏れ日が射して、下界の展望も良い。大聖院に向かって下山を開始すると、遊女の石畳、幕岩、賽の河原等の旧跡があり、下山道の中間地点となる、九町目の町石が残る中堂跡の広場で、小休止したあと、里見茶屋跡、白糸の滝、滝宮神社・滝不動堂と白糸川谷に沿って下山を続けた。2005年の14号台風により、この谷筋で大規模な土石流があり、中流部の砂防2号堰堤から大聖院間の川床と護岸工事、並びに、流失した登山道を付け替える工事が2008年に完成して、登山道が開通したそうだが、現在でも、大規模な治山工事跡が随所に見られた。鮮やかな真紅に色づいたモミジの木々の密度が段々濃くなってきたころ、大聖院入口に到着した。仁王門からここまでの下山に、1時間半を要した。大聖院周辺は、紅葉谷公園に次ぐ紅葉の名所。標高の低い紅葉谷の紅葉は、すでに盛りを過ぎていたが、大聖院のそれは、今まさに紅葉真っ盛りであった。

高台に建つ朱色鮮やかな五重塔と千畳閣(左)を見上げながら、先を急ぐ。
紅葉橋を渡ると、広島県人気No.1の紅葉の名所紅葉谷公園。残念ながらすでに最盛期を過ぎていた。
獅子岩展望台に立ち寄って、瀬戸内海に浮かぶ江田島をはじめとする島々の大展望を楽しんだ。
ロープウェイの獅子岩駅前から望む弥山頂上。頂上まで、徒歩で約30分を要する、そんなに楽に登れる山ではなさそうだ。
虚空蔵菩薩を祀った弥山本堂。付近から奈良時代の緑釉陶器が発見され、空海開山前から山岳信仰の山だったことが判明した。
1200年前に空海が灯した「消えずの火」が燃え続ける霊火堂。大釜に沸くお湯は万病に効く霊水と言われている。
弥山のパワ-スポット「くぐり岩」。花崗岩の大岩が重なり合ってできたトンネルゲ-ト。
頂上展望台から見下ろした標高535mの弥山山頂広場。好天の日曜日の昼時で、大勢の登山者が休憩中。
頂上展望台から宮島口・廿日市市・広島市方面の眺望、中央下の宮島桟橋を頻繁に出入りするカ-フェリ-も良く見える。
台風の大風で崩壊し、2012年に再建された仁王門。大聖院へは、ここから2km/標高差500mの表参道を下山する。
弥山表参道(大聖院コース)には、仁王門まで十九丁目の町が残る。ここ十四丁目」町石付近は、長い長い石段の下りが続く。
大岩の庇の下に石仏やお地蔵様を刻んだ石板が林立する賽の河原の旧跡。

白糸川に架かる古い石橋を渡って山門をくぐり、左下の赤い帽子を被った五百羅漢石像を見下ろしながら、約80段の石段を登ると、左側に三鬼大権現を本尊とする本堂、十一面観音像を本堂とする観音堂、朝鮮出兵時の秀吉の御身仏とされる波切不動明王(重文)を本尊とする頼願堂を参拝した。また、正面左の高台に一際大きい摩尼殿(三重塔)をバックに観音像と紅葉を前景にしたショットが、大聖院紅葉のベストショットとの情報に従って、シャッタ-を切った。大聖院は、厳島神社の別当寺として、また、弥山全域を境内とする、806年空海創建の真言宗御室派本山の由緒ある大寺院であるが、残念なことに1887年の火災で大部分の堂宇を焼失し、現在の本堂等はその後に建築されたものだという。大聖院には、まだまだ見所があったが、厳島神社や大鳥居等、必見の立ち寄り先を多く残していたので、短時間の見学で済ませ、次の立ち寄り先「厳島神社」に向かった。
弥山登山で、お疲れ気味のメンバを気遣い、これからの立ち寄り先を、以下の3つに絞り、以下の優先順位で回ることで、メンバの了解を得た:①厳島神社、②大鳥居、③千畳閣と五重塔。
厳島神社は、東回廊から入場し、本殿・拝殿のある本社に進んで参拝後、海にせり出した平舞台から、沖に聳える大鳥居を眺め、記念撮影を済ませて、西回廊から出場した。参拝した午後2時半頃は、回廊の下まで潮が満ち、海中に浮かぶ神社の雰囲気を十分に味わうことができたが、宮島紅葉祭り最終日の日曜日とあって、大勢の参拝客であふれかえり、参拝客の流れに乗って、15分間の厳島神社参拝はあっけなく終わってしまった。また、大半の建物が、国宝か重要文化財に指定されている厳島神社。普段からのメンテナンスが行き届き、大規模な補修工事が済んで間もないようで、どの建物も、鮮やかな朱色のお化粧が整って、いつもにもまして美しい外観だった。
次の見学は、3年半前に始まった、70年ぶりの大鳥居大修繕が、10月末に完了し、11月の紅葉祭りに向けて、養生用幕と、1段を残して足場が解体され、残した工事用桟橋を渡って、直下から大鳥居を参拝できるお披露目サ-ビスを、11月27日(日)までの期間限定で実施中との情報を得ていた。大修理が済んだ大鳥居を真下からじっくり鑑賞できるのは、本日が最終日。70年ぶりの大修理が済んでの大鳥居お披露目の最終見学を外すわけには行かないと、西松原の桟橋入口に向かうと、「もうすぐ桟橋からの見学の最終締め切りの時間です。希望者は急いでください。」と、宮司さんが、
ハンドスピ-カでアナウンス中。慌てて桟橋入口に駆け付け、何とか締め切りに間に合った。見学者の行列の流れに乗って、大鳥居の真下から、しっかりと観察することができた。現在の大鳥居は、8代目で、約150年前の1875年に再建された。1950年に大修理が実施され、今回が2回目の大修理だという。2本の大柱は楠の大丸太を2本継ぎ足したもので、支柱の4本柱は、杉丸太だという。柱に近づいてよく観察してみると、傷んだ部分を挿し木して修理した箇所が随所に見られ、海中に建つ大鳥居を150年間維持するのに、並々ならぬ努力が払われていることがよく分かった。
 最後に、秀吉が建立したとされる千畳閣と朱色がまぶしい五重塔を見学して、今夜の宿泊地、国民宿舎みやじま杜の宿に向かった。

厳島神社東回廊から望む宮島のシンボル大鳥居。
今日が最後の工事用桟橋を利用しての大鳥居お披露目ツア-に急いで駆け付けて参加。
足場から見上げた70年ぶりの大修繕工事が完了して新装なった大鳥居。
大鳥居足場から望む厳島神社全景。入江内は、満潮時でも水深が浅いので、海上からの厳島神の観光は専ら手漕ぎの和戦。

 この宿では、11/11に開始された全国旅行支援割を利用し、最上級の会席コ-スに変更しての再予約。一人5000円の宿泊料金割引と、3000円のお買い物ク-ポン券の他、2000円の広島県産酒類購入クーポン券も頂いた。夕食膳には、蒸しアワビの先付けに始まり、牡蠣の土手鍋、松茸の土瓶蒸し、フグの薄造りに竜田揚げ、地元和牛のステ-キ、甘鯛の蒸し物、松茸ご飯と、豪華な料理が次々に運ばれ、広島の銘酒 加茂鶴や酔心の大吟醸酒や3種類の宮島地ビ-ルも頂き、これまでの山旅の夕食膳では経験したことがない、豪勢な夕食に、全員大喜びした。
 宮島に宿を採った、もう一つの目的は、ライトアックされた大鳥居や厳島神社の幻想的な夜景を鑑賞すること。希望者のみで、1時間強のナイトウオ-キングを実施し、素晴らしい夜景を存分に堪能した。

引き潮で現れた中洲や厳島神社周辺をナイト・ウオ-ク。
光を受けて幻想的に輝く厳島神社。
照明を浴びてオレンジ色に輝く大鳥居。3年半前に設置された工事用足場と桟橋は、明日以順次撤去される。
厳島神社右上高台の五重塔もライトを浴びて、闇空に一際美しい姿を浮かびあがらせていた。

◆11月28日(月):宮島から広島市に移動、原爆ド-ム、平和公園、広島城、縮景園を巡って帰途に就く。(歩行数~22,000歩)
  宿を出て、宮島港に向かって歩いていると、厳島神社前の入江が、まだ干上がったままであることを発見。今朝、6:30AMの干潮時刻から、すでに2時間以上経過しているのに、まだ入江が干上がっていることに驚きつつ、ラッキ-と叫びながら、入江を歩いて横断するという、思いがけない貴重な体験に大喜び。工事用桟橋を渡っての大鳥居見学は、昨日で終了したが、今朝、早速足場の撤去工事が始まっていた。

厳島神社前の入江が、干潮時刻から2時間たっているのに、まだ干上がったままなのを発見し、大喜びして、入江を徒歩で横断。
工事用桟橋を使っての大鳥居のお披露目行事が昨日で終了し、今朝から早速足場の解体・撤去工事が始まっていた。

 広島駅内のロッカ-に今日も荷物を預け、3日間とも身軽になってのウオ-キング。南口広電タ-ミナルから、最新型の超低床式路面電車で、原爆ド-ム前まで移動。まず、原爆後-ムを元安川左岸の道路を南に移動しながら、方向を変えながらじっくり観察した。平和公園内に移動して、全国から捧納された沢山の千羽鶴が下がる「原爆の子像」、弥山霊火堂の「消えずの火」を移し、それ以来、灯り続けている「平和の灯」、「原爆死没慰霊碑」で、世界平和をお祈りし、「広島平和記念資料館」の展示物を約1時間かけて、じっくり見学した。平和公園内のベンチで昼食を摂ったのち、平和公園内の「原爆慰霊塔」、「平和の鐘」、「平和の時計塔」を見ながら、T字型の相生橋を渡って、原爆ド-ム前まで、一回りしての、平和公園周辺のウオ-キングを終了した。
この後、県庁のある鯉城通りを北上し、突き当りのお堀を渡って、広島城址公園まで移動した。旧本丸・二の丸跡は、芝生の公園になり、原爆投下前までは、第五師団司令部が置かれていた等の説明板を見ながら、北西の隅にある、昭和33年に再建された広島城天守閣を見学した。かつての国宝「広島城天守閣」は、原爆により、一瞬で破壊・焼失したが、66年前に、外見は旧広島城だが、鉄筋コンクリ-ト造の天守閣が再建され、以降、資料館として、有料入場できるようになった。天守閣最上階に上がると、広島市街の360度の大展望が広がり、南南西方向には、宮島弥山と標高509m駒ヶ林の双耳鋒が、大きくはっきりと遠望できた。天守閣内部は、初代城主であった毛利輝元、2代目城主の福島正則、江戸時代以降城主となった浅野氏の初代浅野長晃等に関する資料や、刀剣、鎧、火縄銃等の展示物を見て回り、戦国時代以降の安芸国~広島市周辺の歴史を学んだ。
公園内のあちこちに、「原爆被曝樹木」の標識が付いた多くの樹木を見た。爆心地から1km程度だったこの公園で、原爆に被曝した多くの樹木が、数千度に達する熱風と爆風、人間の致死量に近い強力な中性子線をはじめとする強烈な放射線、Sr90やCs137等の放射性核分裂生成物の被曝・汚染に負けずに、生きぬいてきた生き証人となる樹木が、こんなに沢山残っているのをみて感激した。
 東に10分ほど歩いた先に、3代目の広島城主「浅野長晃」が別宅の庭園として造らせた「縮景園」と名付けられた日本庭園で、広島県の紅葉の名所としても名高い庭園に立ち寄った。65歳以上のシニアは、入園料が無料という広島市の計らいも素晴らしい。中央に大きな池を配し、その周りに、モミジや桜等の樹木を植え、要所々々に茶室や東屋を配した見事な日本庭園だ。鮮やかな真紅に色づいたモミジやカエデ、ハゼの紅葉を愛でながら、庭園を一回りした後、広島駅まで歩いて戻って、3日間わたる安芸国紅葉ハイキング&ウオ-キングが無事終了した。3日間で歩いた歩数の合計は約6.6万歩にのぼった。平均年齢74.8歳の14人メンバ全員がそろって、予定したコ-スを完歩したことは、誠に素晴らしい。 
  新幹線に乗る前の約1時間、駅ビル内「EKIE」のお土産店で、広島県から頂いた3000円のお買い物ク-ポン券と、広島県産酒類購入ク-ポン券を利用して、紅葉饅頭や瀬戸内産のレモンや八朔を使ったお菓子類、牡蠣やアナゴのお弁当、広島の銘酒等、思い思いのお土産をしっかり買い込んで、帰途に就いた。