六義園・旧古河庭園
5/16(木)シニアメンバを中心とする15名が山手線「駒込駅前」に集合し、回遊式築山泉水の大名庭園として有名な特別名勝「六義園と、春バラが見頃を迎えた国指定名勝「旧古河庭園」の2ヵ所の都立文化財庭園を訪ね、艶やかなバラの花々と雅な日本庭園を存分に堪能した。
計画書
実施報告

◆特別名勝「六義園」庭園散策
JR駒込駅前の本郷通りを南に10分ほど歩くと、六義園正門があり、ここか入場口となる。内庭大門をくぐると、すぐに六義園のシンボル「シダレザクラの大木」の出迎えを受ける。8.8万m2の広大な園内には、大きな池「大泉水」を中心にした回遊式築山泉水の日本庭園が広がる。大泉水の池畔を3つの橋を渡って、一周する回遊路を散策した。途中、湧き出した清水が石組みの渓流を流れ落ちる景色と瀬音を楽しみながらの滝見茶屋での昼食。池の畔に立つ吹上茶屋で、抹茶を戴きながら日本庭園の神髄を堪能。一面ツツジに覆われた標高35mの築山「富士見山」の高みに立って、園内を俯瞰。枝道に入ると、自然林が広がり、深山の趣も味わえた。六義園が賑わうのは、3月下旬のシダレザクラ、4月下旬のツツジ、11月下旬の紅葉の時季だ。今回の5月中旬の六義園訪問では、ツツジはすでに咲き終わり、サツキとアジサイが咲き始めてはいたが、園内を散策する人影はまばらだった。
六義園は、川越藩17万石の藩主「柳沢吉保」が1702年に、この駒込の地に築園した大名庭園の一つだという。この他、都内には、浜離宮、旧芝離宮、小石川後楽園の3つの大名庭園が、特別名勝・特別史跡等に指定されて、いずれも都立文化財庭園として公開されている。これら3庭園に比べ、規模は小さいが、秀麗との評判の高い柳沢吉保の大名庭園がほぼそのまま現在の六義園として保存・管理・公開されているというのは、誠にありがたい。我々15名のメンバは、昼食時間を含め、約90分間の園内散策を楽しんだ後、駒込駅まで戻り、さらに本郷通りを北に進んで、次の訪問地「旧古河庭園」に向かった。
◆旧古河庭園の春バラ鑑賞と日本庭園散策
30分歩いて到着した旧古河庭園は、4/26(金)~6/30(日)まで春のバラフェスティバルを開催中で、バラの花を目当てに訪れた大勢の人で、かなり混雑していた。早速、旧古河邸前の西洋庭園に咲く春バラを鑑賞した。バラ庭園はさほど広くないが、選りすぐりの100種のバラのうち、石垣を覆うサンショウバラを含め、90余種の春バラが色とりどりの花を咲かせていた。春バラの人気投票で、常に上位入賞しているというソフトピンクのシンデレラ、ビビットブル-のカインダ・ブル-、プリンセス・ドウ・モナコ等の人気品種も多数見られた。その後、日本庭園に降り立ち、心字池を中心にした回遊式日本庭園を散策した。池に張り出した石組みの上に、巨大な雪見灯籠を据える等、他に類を見ない特徴ある日本庭園であった。
旧古河邸と庭園は、古河財閥の3代目当主古河虎之介により、武蔵野台地斜面の地形を巧みに利用し、約1万坪の敷地の高台に、石造2階建ての洋館(内部は和洋折衷)と西洋庭園(設計は鹿鳴館やニコライ堂を設計したジョサイヤ・コンドル)を大正6年に竣工。低地には、京都の庭師小川治兵衛作庭による池泉回遊式の日本庭園を大正8年に竣工させたという。戦後進駐軍に約6年間接収されたのち、30年間無人の状態が続いて、荒廃した時期もあった。しかし、建物も庭園も竣工当時の姿を保存している貴重な史跡であることから、昭和31年に都立文化財庭園「旧古河庭園」(都の名勝指定後、平成18年に国の名勝に指定)として、一般開放されたという。なお、旧古河邸本館建物は、昭和58~63年に大規模な修復工事が実施され、(財)大谷美術館が管理運営する資料館として、平成元年より一般公開されるようになり、今日に至っている。
かくして、江戸時代作庭の大名庭園「六義園」と大正時代を代表する春バラの咲く和洋の「旧古河庭園」の2つの国指定名勝・都立文化財庭園の散策を存分に楽しんできた。