武相荘・野津田・薬師池公園

6月28日(水)、梅雨の合間の薄日射す晴れ間を縫い、7名のシニアメンバが参加して、小田急線鶴川駅から町田駅沿線に点在する旧白洲邸「武相荘」、野津田公園、薬師池公園の3か所を巡るウォ-キングを催行した。
計画を作成するにあたり、事前に2度も下見をして、訪問地とそのコ-ス取りの精査を重ねた上での実施計画であった。しかし、実施日当日は最高気温30℃越えの蒸し暑い天候となり、長時間の舗装道路のウォ-キングは、熱中症のリスクが高いことから、3カ所の訪問地間の徒歩移動を、路線バス利用に変更するなど、現地で臨機応変に熱中症予防対策を実施し、大汗をかきながらも、行動時間5時間、歩行数約13000歩のウォ-キングを存分に楽しむことができた。

計画書

実施報告

太平洋戦争敗戦後、吉田茂首相の片腕としてGHQとの折衝に尽力し、日本国憲法成立に関わった白洲次郎家族が住んだ邸宅を旧白洲邸「武相荘」ミュ-ジアムとして公開している。

最初に、鶴川駅の北約1km強の丘陵地に位置する旧白洲邸「武相荘(ぶあいそう)」ミュ-ジアムを訪問した。この武相荘は、太平洋戦争敗戦後、吉田茂首相の片腕として活躍したことで知られる白洲次郎と、随筆家として高名な正子夫人と3人の子とともに、戦時中にこの地に移り住み、終の棲家としてこの地で生涯を終えた旧宅で、2001年に町田市文化財指定「旧白洲邸武相荘(ぶあいそう)」ミュ-ジアムとして、一般公開されるようになった。GHQ相手に粘り強く交渉し、相手に一目置かれたサムライ白洲次郎の生き様と功績を学んだ。
次の訪問地「野津田運動公園」は、広大な丘陵地に町田市営の野球グランド、陸上競技場等の種々のスポ-ツ施設が広がる都市公園。中心部には、収容人員1.5万人の陸上競技場兼サッカ-場(愛称:町田GIONスタジアム)があり、プロサッカ-J2リ-グ22チ-ム中、現在1位に輝くFC町田ゼルビアのホームスタジアムとして多くのサッカ-フアンを集めているという。我々は、一部路線バスを利用したが、野津田公園までの道程の大半を歩いた。強い日差しを避け、スタジアム前の芝生広場の藤棚の下でゆった~りとランチタイムを楽しんだ。
なお、この付近には、鎌倉から高崎に至る鎌倉街道が通じていたといい、野津田公園内や七国山周辺に、往時の鎌倉古道がそのまま残っている場所がいく箇所もあるようだ。鎌倉古道の遺構を歩きながら、熊谷から鎌倉に駆け付ける途中の二俣川で、北条義時に命じられた愛甲三郎季隆により、弓矢で射抜かれて打ち取られた畠山重忠もこの地を通ったのだろうな・・・と、往時のエピソ-ドに思いをはせた。
最後の訪問地「薬師池公園」には、当初計画では、標高128.5mの七国山を越える旧鎌倉街道を歩いてのコース取りを予定でしていたが、猛暑の中の山越えを避け、急遽路線バス利用に変更した。
2000年前の古代ハス「大賀ハス」のピンクの大輪の花が咲き始めたハス池を巡り、薬師池の東側を半周して、色とりどりのアジサイと咲き残りのショウブの花が咲くショウブ苑や水車小屋を巡って、最後に薬師池畔のやくし茶屋で、かき氷を食べながら一休みして、大汗をかいた身体をクールダウンした。
近くのバス停から路線バスに乗ってゴ-ルの町田駅前に3:00pm前に到着し、解散した。

農家を買い取って移り住んだ武相荘母屋は、茅葺屋根の中2階付き3LDK。ミュ-ジアムとして、遺品等を展示。
邸内には、レストラン(写真背景)ショップ、カフェ等の建物が点在している。
白洲次郎17歳の時、父親からプレゼントされたPAIGE Six-38型(1916年米国製、5座席スポ-ツ車)と同じ車が展示中。
自然林の中に続く武相荘の散策路。能ヶ谷きつねくぼ緑地に続くup/downの多い竹林と雑木林の中を歩く。
華厳坂を登って野津田公園に向かう途中、鎌倉古道の道標に出会う。付近には往時の鎌倉街道があちこちに残る。
野津田公園中央部の1.5万人収容FC町田ゼルビア(現在J2リ-グ1位)のホーム「町田GIONスタジアム」前芝生広場の藤棚下で昼食
最後の訪問地「薬師池公園四季の杜」は野津田公園の南約2kmに位置する。早速1時間ほどの散策を楽しんだ。
約2000年前の種を発芽させて繁殖させた「大賀ハス」の群生地に咲き始めたハスの花。朝開いた花も昼間は閉じてしまう。
蓮田の中に4羽の子ガモを連れたカルガモ親子を発見して、ホッコリ気分。
蓮田の先に広がる薬師池。浮島で甲羅干し中の亀を珍しそうに観察。
薬師池南岸に広がるアジサイ園とショウブ田を一回り。ショウブの花はすでに見頃の時期を過ぎ、咲き残る花はまばらだった。
薬師池西岸に位置する「やくし茶屋」に立ち寄り、かき氷でクールダウンしてから帰路に就く。