小江戸川越花見

3/27(水)シニアメンバを中心とする13名が参加して、終日快晴の空のもと、小江戸川越花見ウォ-キングを催行した。

武蔵国最大17万石の川越藩の城下町川越と厚木は、川越藩の所領地が厚木各所に存在するなど、もともと縁の深い土地柄どうしだが、公共交通を利用して、厚木から川越に行くには、何度も電車を乗り換える必要があり、近いようで遠い場所であった。ところが最近、相鉄西谷駅から都心に乗り入れる2系統の路線が開通し、相鉄海老名駅始発・川越駅直通特急電車が運行されるようになった。今回、早速この直通電車を利用することにした。ソメイヨシノの開花日が昨年より15日も遅い、3/29になるという予想外の事態に遭遇し、実施日延期を思案したが、早咲きの桜花に期待して、予定通り実施することにした。

計画書

実施報告

小江戸川越最初の訪問地中院で、早咲きのシダレザクラとエドヒガンザクラが我々一行を出迎えてくれた。

都心の埼京線を走る電車の車窓から、純白に輝く富士山を真上に戴いた大山から蛭ヶ岳の丹沢山塊、大岳山・雲取山・武甲山・両神山と続く奥多摩から奥武蔵の山並みを楽しみながらの2時間の電車旅を終え、JR川越駅東口に降り立った。駅前には立派なビルが林立し、駅前から小江戸川越旧市街地まで、北に1.5kmまっすぐ延びるアーケ-ド商店街「クレアモ-ル」を歩いて、最初の訪問地に向かった。モール街には、大型百貨店や多種多様な商店が立ち並び、大勢の人々が行き交う繁華街の賑わいに、さすが厚木市の1.5倍の人口35万を有する埼玉県有数の商業都市だけあると実感した。

最初の目的地は、島崎藤村ゆかりの天台宗の古刹「中院」。川越で一番先に開花する樹齢100年超のシダレザクラが有名な寺院だ。山門をくぐると、本堂前の庭園に見事な花を咲かせたシダレザクラの他、エドヒガンザクラや欧米で春を告げる花として有名なミモザの黄花、薄紅のアセビの花をしばし観賞して回った。 次に訪ねた仙波東照宮は、日光・久能山に並ぶ三大東照宮一つとされ、鳥居から隋身門、唐門、拝殿、本殿の総てが国指定重要文化財の由緒ある神社。石段前の参道に藩主松平信綱お手植えの樹齢300年超のエドヒガンザクラの大木があるが、日当たりが悪いせいか、花付きは今一つだった。

相鉄海老名駅始発川越行直通特急に乗車。車窓から景色を楽しみながらの2時間の電車旅だった。
最初の訪問地「天台宗中院」の山門前で集合写真。
中院境内にはシダレサクラ(左)、エドヒガンザクラ(右奥)、春を告げる欧米の花ミモザ(黄色)が競い合う。
ソメイヨシノに先駆けて咲く日本古来種エドヒガンサクラ。仙波東照宮には300年超の古木も。

次に立ち寄った真言宗喜多院は、川越大師として親しまれている小江戸川越きっての名刹。桜の名所としても知られている寺だが、境内のソメイヨシノはまだ蕾だった。この寺の見どころは、1638年三代将軍徳川家光の命により、江戸城紅葉山御殿の客殿と書院(国重要文化財)がこの地に移築され、その中に家光公誕生の間とその乳母春日局化粧の間が有料拝観できるところだろうか。客殿の廊下に立つと、美しい花を咲かせた数本のシダレザクラがアクセントになった見事な庭園が見渡せた。また、広い境内の一角に538体の五百羅漢石像群が並んでいる。約200年前に建立された比較的新しい石像であるため、石像の痛みが少なく、一体ごとに異なるポーズと豊かな顔の表情を、時間をかけて鑑賞して回った。

 その次は、川越藩17万石の居城、川越城の広大な敷地内に残る川越城鎮守社の三芳野神社と川越城の建築物として唯一現存する川越城本丸御殿を見学した。前者は、有名なわらべ歌「とおりゃんせ、とおりゃんせ」の発祥の地だという。川越城は、関東管領上杉氏の家臣「太田道灌父子」によって、1457年に築城されたのが最初で、江戸に徳川幕府が開かれて以降、江戸の北の守りの要の城として、徳川譜代の家臣が、代々城主を勤めてきたという。往時の川越城の建築物として現存するのは、1848年に造営された本丸御殿の一部(玄関、大広間、家老詰所)のみで、有料公開されているエリアを見学した(もともと天守閣はなかった)。

川越一の名刹真言宗喜多院(川越大師)。江戸城から移築した徳川家光誕生の間や春日局化粧の間等を見学。
喜多院境内のソメイヨシノはまだ蕾だったが、客殿前の庭園には、シダレやエドヒガンが見事に咲き誇っていた。
喜多院境内の一角に並ぶ江戸中期建立の538体の五百羅漢石造群は壮観だ。 
現存する川越城本丸御殿は、1848年に拡張整備された本丸の一部で、日本百名城に選定されている。

ウォ-キングの後半は、川越旧市街を囲むように流れる新河岸川東側の宮下橋から田谷堰までの約500mの両岸に続く桜並木から、新河岸川畔を反時計回りに1kmほど川縁を歩き、市街地西側の高沢橋から小江戸川越観光の中心「札の辻」に続く高沢通りに出た。菓子屋横丁に寄り道してから、土蔵造り商店が並ぶ、蔵造り通りの町並みを見学しながら、今朝出発した川越駅に戻った。

新河岸川畔の桜並木に向かう途中、「氷川神社」の扁額を掲げた朱色の木製大鳥居の先の拝殿前に、参拝の順番を待つ、見慣れぬ白い和服姿の若い女性の長蛇の列を見て、異様な気配を感じた。何事かと白いレース地の袷の和服に、背中に付け帯とその上部に大輪の花を模した帯揚げ?のモダンな和服姿の若い女性に尋ねてみたところ、川越の貸衣装屋で、1式1万円弱でレンタルした貸衣装だという。ウエディングドレスを連想させるレース地の和服でドレスアップし、縁結びの神様として評判の高い川越総鎮守「川越氷川神社」の神前で、よきパ-トナ-に出会えますようお願いに来たものと推察した。そういえば、氷川神社は素戔嗚尊と奇稲田姫命の3代2組の夫婦神を祀る神社。境内に並ぶ絵馬やお守り、おみくじ等の総てが、若者受けしそうな縁結び関連グッズが並んでいた。

新河岸川の桜並木通りに出ると、緩やかな小川の流れの両岸の土手に黄色の菜の花の絨毯が広がっていたが、お目当ての桜は、まだ蕾のみのソメイヨシノの並木が寂しく続くばかりだった。それでも、6人ほどの観光客を乗せた手漕ぎの小型の観光和舟が行ききするのを見た。現在の新河岸川は濁った水がゆったり流れる小川に過ぎないが、江戸時代から明治時代には、江戸と商都川越の物流を担う、荒川と新河岸川をつなぐ水運航路として大活躍したという。

小江戸川越のシンボル「時の鐘」は1日4回自動的に梵鐘を6度突き鳴らすが、今回参加メンバの中に、ライブで梵鐘が鳴るところを至近距離から観賞したメンバはいないようだ。今回幸運にも午後3時の鐘に間に合い、梵鐘を突くところを真下から観察することができた。梵鐘の劣化軽減を考慮して、相当前に鐘撞棒の材質を樫の木から柔らかい棕梠の幹に変えたそうで、それ以来、時の鐘の音量・音質とも悪くなったという。実際に至近で聞いた鐘の音は今一つは迫力がなかった。帰路途中、桜の名所「浄土宗蓮馨寺」に立ち寄ってみたが、やはりソメイヨシノは開花していなかった。

午後4時少し前、ゴールの東武東上線川越駅に到着。帰路は、「横浜元町・中華街行」特急に乗車し、武蔵小杉駅ホ-ムで、相鉄海老名行接続電車に乗り換え、海老名駅に午後6時過ぎに帰着。歩行距離約10km、行動時間約6時間、歩行数19000歩の実績をもって、小江戸川越花見ウォ-キングを無事終了した。

創建1500年超の川越総鎮守氷川神社は、大人気の縁結びの神を祀る。若者が列をなして参拝していた。
川越の花見の名所新河岸川桜並木。両岸500mに続くソメイヨシノはまだ蕾(3/29開花、4/4満開)。
小江戸川越の人気スポットの一つ「菓子屋横丁」。多くの観光客でにぎわっていた。
390年前建造の小江戸川越のシンボル「時の鐘」。午後3時を告げる6度の凡鐘の音に聞き入った。