美濃・尾張・三河の名城&桜

2023年度TTC主催ゆった~り山行のオ-プニング行事として、13名のメンバの参加を得て、4/2(日)~4/3(月)の1泊2日行程で、美濃・尾張・三河の3つの名城と桜の名所6カ所を、大型ワゴン車で訪ねる観桜ウォ-キングを催行した。
桜の開花予測日が日々早まり、最終的に、平年より約10日も早い史上最速の開花となったため、実施日を2度も見直し、その都度、宿の予約変更や詳細行程の変更を強いられる等、実施までに大変な労力を要したうえ、実施日まで桜が散らずに残っていてくれるだろうか? ハラハラしながら催行日を待つなど、いつもの計画の何倍も、苦労の多い実施までの道程だった。訪問した6カ所のうち、すでに桜吹雪を迎えてしまったところもあったが、幸い2日間とも好天に恵まれ、充実した観桜ウォ-キングが実施できた。

計画書

実施報告

木曽川畔80m高台に建つ現存最古の天守「国宝犬山城」

◆4/2(日)第一訪問地:岡崎公園・岡崎城(三河岡崎市)

今回の山旅で訪問予定6カ所のうち、最初に選んだ訪問地は三河岡崎公園(岡崎城)。徳川家康生誕の地であり、日本桜名所100選の桜の名所でもある。コロナ禍で3年間自粛してきた桜祭り、さらに、今年のNHK大河ドラマ「どうする家康」の最初の舞台が、この岡崎市であることも重なり、地元の力の入れようは半端ない。桜祭り期間中の交通渋滞対策として、岡崎公園近くのすべての駐車場が、NETによる事前予約制となり、特に週末に、岡崎公園近くの駐車場を確保するにも大変な状況だった。

 TTCパーティ13名は、岡崎公園入口から大手門を潜り、テーマ館見学をスル-し、二の丸公園から龍城神社、岡崎城天守閣と辿り、龍城堀の外に回って、菅生川両岸の土手に咲く800本の満開の桜を愛でた後、桜並木の花が散り始め、伊賀川の水面に花筏が浮かぶ優雅な景色を眺めながら、車の待つまるや八丁味噌駐車場まで、1.5時間の岡崎公園ウォ-キングを楽しんだ。三河岡崎公園のソメイヨシノは平年より10日ほど早い3/18に開花、3/26に満開となり、我々が訪ねる4/2まで、散らずに待っていてくれるかどうか?はらはらものであったが、4/2が散り始め日との公式発表。満開の見ごたえある桜花が見られる最終日に何とか間に合って、良かった、よかったと、ほっと胸を撫でおろした。

家康生誕の地岡崎城内には家康像や家康の産湯井戸・えな塚、家康と家臣本田忠勝を祀った龍城神社等がある。
1617年に再建された3層3階の天守閣は明治初期に取り壊されたが、1959年にコンクリ-ト造で現天守が復興された。
岡崎公園には、城内、菅生川両岸の堤、伊賀川畔等に800本のソメイヨシノが咲き、桜を愛でながら散策を楽しんだ。
花筏の伊賀川の桜並木。城内(左側)の芝生広場では、多くの市民が花見の宴を楽しんでいた。

4/2()第二訪問地:博物館明治村(尾張犬山市)

 次に訪れたのは、昭和40年に犬山市入鹿池畔の敷地面積100万m2の広大な敷地に開園した博物館明治村。明治~大正期にかけて建築された建造物(国重文11)や産業遺産(重文3)等、60棟以上を集めて展示する一大テーマパ-クで、園内には、ソメイヨシノ、山桜、枝垂桜、八重桜等が1000本以上植樹されているという。

桜花がまだどの程度咲き残っているか?ワクワクしながら入場すると、予想もしていなかったミツバツツジの群落に出会い、あまりの美しさに仰天した。ソメイヨシノはすでに散りかけていたが、村内各所に山桜や大島桜、枝垂桜が見事な花を咲かせていた。また、ミツバツツジの他、白花を満載したコブシの大樹や山裾に群生するカタクリの花にも出会った。

F.ロイド・ライト設計の初代帝国ホテル正面玄関、京都から移築した聖ザビエル教会、国重文指定の芝居小屋「呉服屋」や洋風木造建築の粋「宇治山田郵便局」、金沢や前橋から移築した明治時代の監獄の独居房に入って、居心地を試す滅多にできない経験も。また、明治5年に新橋-横浜間を走ったわが国最初の蒸気機関車が、村内をまだ現役で走っている姿を見て感激した。開業当時、22カ所の橋は総べて木造だったそうだが、明治10年の複線化に伴って、多摩川(六郷川)に長さ550mの複線のわが国初の本格的鉄橋「六郷橋鉄橋」が架けられたそうだが、鉄橋の一部が村内の谷に移設されており、TTCパ-ティも興味深く渡らせてもらった。

村内の主だった建築物を見て回るだけでも半日以上必要とのことだが、後ろ髪をひかれる思いで、2.5時間の滞在で切り上げ、次の目的地に向かった。

桜が散ってしまっていないか気にしながら入場した明治村。素晴らしいミツバツツジの群落に出会って感激しきり。
建築界の巨匠F・ロイド・ライト設計/大正12年建築の日本を代表する旧帝国ホテル正門玄関。内部を見学。
明治42年建築の宇治山田郵便局舎(国重文)で、唯一現存する明治期の木造郵便局舎。優雅な洋風建築に感動。
村内を走る列車は、明治5年新橋-横浜開通時からの蒸気機関車と明治41年製のハフ11型客車だという。
春の花満開の広大な村内を2.5時間ウォ-キング。後方の建物は、明治23年建築の京都聖ザピエル天守堂。
広大な村内は、山桜、枝垂桜、コブシ、ミツバツツジ、カタクリ等の色とりどりの花々で彩られていた。

◆4/2(日)第三訪問地:岐阜公園・金華山・岐阜城:長良川温泉(美濃岐阜市)

本日最後の訪問地は、岐阜公園と金華山山頂に聳える岐阜城天守閣に登り、最後に、本日の宿泊先となる長良川対岸の長良川温泉「鵜匠の家すぎ山」までの行程。

犬山祭の最中で、大勢の観光客で混雑している犬山市街の通過を避け、中央道/名神道/東海北陸道と高速道路を乗り継いで、大きく南に迂回し、金華山頂上に聳える岐阜城天守を目印にして、車を走らせ、駐車場のある岐阜公園に向かった。桜花に染まるこの時期の岐阜公園付近の道路は、あちこちに臨時の交通規制が敷かれ、土地勘のない我々では、なかなか目指す駐車場にたどり着けず、一方通行の道路を大きく2回りして、長良川左岸河原の無料駐車場を20分を要して探し当てた。また、金華山登山に往復に利用したロ-プウェイ頂上駅では、約20分の乗車待ちがあり、今回の6カ所の立ち寄り先で、唯一約40分のロスタイムが発生してしまった。

ロ-プウェイに約4分間乗車すると、金華山280m地点の山頂駅に到着。ここから、標高329mの金華山頂上に建つ岐阜城復興天守閣までは、標高50m/距離400mの大手道を歩いて登った。天守閣の最上階に登ると、眼下に長良川が流れ、岐阜から大垣、そして名古屋へと続く市街地と広大な濃尾平野が広がり、西方には、左から右に、御在所・霊仙・伊吹山地と連なり、さらに、両白山地へと続く山並みが見渡せ、夕日で赤く染まった、ひと目でそれとわかる伊吹山(標高1377m/岐阜市から直線距離約30km)が見渡せた。金華山麓の岐阜公園内は、現在も発掘調査が続けられている信長の居館跡や千畳敷広場跡等の遺跡があり、長良川堤にかけて、約300本の桜が咲く、人気の桜の名所。しかし、平年より10日以上早く開花した、ソメイヨシノはすでに葉桜に近い状態だったが、公園内のあちこちに、美しい花を咲かせた山桜や枝垂桜が立ち並んで、TTC一行を歓迎してくれた。

この後、長良川対岸の河畔に位置する長良川温泉「鵜匠の家 すぎ山」に移動し、長良川の眺望が素晴らしい和室5室に落ち着き、名湯の評判が高い含鉄単純温泉で汗を流してから、お待ちかねの和会席の夕食膳を存分に堪能した。

岐阜公園岐阜城信長居館跡付近からロ-プウェイで金華山標高280m山頂駅まで登り約10分歩いて展望天守に到着できる。
ロープウェイ頂上駅から岐阜城天守までは、標高50m/距離400m。中間の二の丸門からは、急な石段を一登りすると、天守に到着する。
急な石段を登ると展望の良い尾根に出て、大展望が広がる。ここまで登れば、岐阜城天守閣は目と鼻の先だ。
天守閣に登ると遮るものがない360度の大展望。西方を望むと、光る長良川の30km先に伊吹山のシルエットを目視。
宿泊は長良川対岸の長良川温泉「鵜匠の家すぎ山」。含鉄単純温泉の名湯に浸かり、和会席料理を堪能した。
長良川に面した客室からの眺め。5/11からの鵜飼い行事が始まる目前の長良川と金華山頂上に聳える岐阜城復興天守閣。

4/03(月)第四訪問地:根尾谷淡墨桜公園(美濃本巣市)

 2日目朝一番の訪問先は、西美濃根尾谷に咲く、日本三大桜、かつ日本の桜名所百選の「根尾谷淡墨桜」。渋滞を避けるため、土日を避け、平日のできるだけ早い時間の訪問がおすすめとの現地観光協会のアドバイスを受け、4/3(月)朝一の訪問とした。新緑に染まる里山の景色を車窓から楽しみながらの約1時間のドライブ、渋滞に遭うことなく、目的地の駐車場に到着した。観光客が予想以上に少ないことを気にしながら、淡墨桜公園に歩いて行くと、悪い予感が的中!公園広場内のあちこちに植樹されているソメイヨシノや紅枝垂桜は満開の花を咲かせているのに、樹齢1500年超の初代淡墨桜も、その後ろに控える100年超の2代目も、すっかり花弁を落とし、若草色の涼しげな姿に変わってしまっていた。出発前日の4/01午後に、根尾谷淡墨桜のライブカメラで確認したときは、満開の花をしっかりと咲かせていたのに・・・どうして1~2日で急変してしまったのか?現地の方に確認したところ、昨夜降った大雨が、花散らしの雨となり、淡墨桜の花弁が一夜にして散ってしまったという。

根尾谷淡墨桜の訪問日を決定するにあたり、地元本巣市公表の過去35年間の開花/満開/散り果て日のデ-タを調べ、開花日:最速3/22~最遅4/14、散り果て日:最速4/5~最遅4/27、開花日から散り果日までの期間:最短7~最長23日。しかし、令和になってからの4年間に限ってみると、開花日が、R1::3/29、R2:3/23、R3::3/24、R4:4/1と大幅に早まっていることを考慮して、「外れ」の確率が一番低いと考えられる4/3(月)訪問に設定した。また、根尾谷は、岐阜市より標高が約150m高い200mであり、降雪量が多い西美濃の山間部であるため、過去のデ-タを見る限り、根尾谷淡墨桜の開花日は、岐阜市のソメイヨシノの開花日より、おおむね1週間遅れで開花する確率が高いことも分かり、4/3は相当の根拠をもって設定した見頃の確率が最も高い訪問日であったが、半日遅れのタッチの差で惨敗してしまった。今年の根尾谷淡墨桜の開花は、過去最速(1988年の3/22、2020年の3/23)に並ぶ3/23、散り果て日は過去最速だった2021年の4/5より、3日早い4/2(開花期間:最短の2001年の7日間に次いで、2番目に短い10日間)。最近顕著になりつつある地球温暖化の影響を真面に受け、過去最速で咲き、過去最速より3日も早く、散ってしまった。 一つ救いは、根尾谷上流約20km先に聳える両白山地(加賀白山から能郷白山まで、加賀・越前と美濃・飛騨国境に約50km続く山塊)の西の雄峰、まだ多くの残雪を戴いた能郷白山(標高1717m)が、根尾谷の谷間からはっきりと望むことができたことだ。頂上には白山神社が祀られ、加賀白山とともに、信仰の山として、美濃や越前の人々に古くから信仰されてきた名山である。深田久弥が百名山を選定する際、両白山地を代表する山として、加賀白山の他に、能郷白山と荒島岳(標高1523m)のどちらかを選ぼうか悩んだ末、彼の生まれ故郷大聖寺平(現加賀市)から望める荒島岳を選んだと述べており、選に漏れた能郷白山は、その後200名山に選ばれたという後日談が残されている。

昨夜の花散らしの雨で、すっかり花弁を落としてしまった1500年超(手前右)と100年超2代目根尾谷淡墨桜。
日本三大桜中、最大の枝ぶりを誇る根尾谷淡墨桜の周囲を、一回りして、淡墨桜の巨大さを実感。左は2代目淡墨桜の幹。
うすずみ公園全景。広場中央の淡墨桜はすでに花を散らしていたが、ソメイヨシノと紅枝垂桜はまだ見事な花を咲かせていた。
美濃根尾谷から20km先の美濃・越前国境に聳える両白山地の雄峰2百名山能郷白山(1717m)は、まだ多くの雪を残す山姿を見せていた。

4/03(月)第五訪問地:谷汲山華厳寺(美濃揖斐町)

今年の岐阜市のソメイヨシノは例年より約10日早い、3/17開花との予報が出され、岐阜、愛知の訪問予定地の桜が、4/2~4/3の訪問時には、散ってしまっている恐れが出てきた。そこで、例年岐阜市より、開花が4~5日遅い、谷汲山華厳寺門前通りに続く約300本の桜並木観桜を立ち寄り先に追加した。谷汲山華厳寺は、根尾谷淡墨桜観桜が終わり、最終立寄り先の犬山城に向かう途中にあり、あまり時間をかけることなく観桜と創建1200年の名刹華厳寺の参拝を済ませることができると踏んでの行程変更である。

谷汲山門前通りの桜並木は、落下盛んな花吹雪の最中というところで、お店を覗きながら、山門を潜り華厳寺の参拝に向かった。100段以上続く石段を登り、高さ2.5mの秘仏本尊十一面観音を祀る本堂を参拝した。この寺は、西国33観音霊場の33番札所の結願寺となっており、京都、奈良、和歌山、兵庫、滋賀に集中する32観音霊場を巡った後、一寺だけ、岐阜の山里にある33番札所「結願寺」の華厳寺本堂奥の満願堂にお参りし、33カ寺の参拝が無事済んだことを報告して、霊場巡りの際に纏っていた笈摺衣を奉納するのが習わしだという。今回のメンバの中に、西国33観音霊場巡りを終えたメンバがおり、結願の作法や謂れなどについて、説明していただいた。

西濃揖斐川町の桜の名所「谷汲山華厳寺」の桜吹雪舞う参道を華厳寺に向かう。ソメイヨシノの花はほとんど散っていた。
西国33観音霊場33番札所の結願寺として参拝者の途絶えることがない名刹華厳寺山門を潜る。
長い石段を登って、本尊十一面観音を祀る華厳寺本堂を参拝。TTC主催山行で西国33観音霊場参拝は華厳寺で10カ寺となった。
33観音霊場の参拝を終えた巡礼者は、本堂裏の結願堂にお礼参拝を済ませ、法被は笈摺堂に奉納する習わしだという。

4/03(月)第六訪問地:犬山城天守閣(尾張犬山市)

岐阜市まで戻り、国道22号線を西に進んで、各務原市で、木曽川を渡って尾張犬山市に入り、木曽川左岸に続く桜並木通りを走って、木曽川左岸の標高差80mの岩峰の頂に建つ最後の立ち寄り先「犬山城」を見学した。

犬山城前広場に車を止め、三光稲荷神社と針鋼神社の境内を通り抜け、さらに石段を登って4層4階から成る犬山城天守閣に登った。眼下に木曽川の大河の流れが広がり、濃尾平野を一望する360度の大展望を存分に楽しんだ。天守閣前の広場には、幾本か、まだ花を残した桜樹があり、桜を前景にして、小振りながら、桃山様式の気品ある姿の国宝犬山城天守閣を写真に収めた。

現在国宝に指定されている城郭は、姫路城、彦根城、松江城、松本城とこの犬山城の5城のみである。この城は、尾張と美濃の国境となる木曽川左岸のこの高台に、織田信長の叔父「信康」が、1537年に築城したものと言われ、本能寺の変後、秀吉と家康の争いの舞台になったが、幸い焼け落ちることなく、徳川の世を迎えた。以降、明治維新までの間、尾張徳川家の目付家老職にあった成瀬家が城主を勤めたという。明治維新後、犬山城は廃城となって、天守閣のみが残ったという。しかし、明治20年代にこの地を襲った濃尾地震で大破し、取り壊しの憂き目になりそうになったが、成瀬家と犬山町民が修理保存を願い出たことにより、明治政府が、成瀬家に払い下げたという。犬山町民の浄財で天守閣を見事補修し、最近まで成瀬家個人所有の稀有な国宝犬山城となったが、現在は公益法人白帝文庫所有になり、犬山市が保存管理する体制が整ったという。なお、2019~2020年にかけて、建物全体の変遷過程等の詳細な現地調査が行われた結果、現存する天守閣は、1585年に建設されたものであることが判明し、現存する国宝5城の中で、最古の天守閣であると認定されている。

以上、1泊2日行程で、美濃・尾張・三河の3名城と桜名所6カ所巡るウォ-キングは、予定のスケジュ-ルをすべてこなし、予定の時刻に神奈川県に帰着することができた。

犬山城は木曽川左岸の標高差80mの小高い岩峰の頂に聳える信長の叔父小田信康1537年築城の尾張最北の平山城。
現存する犬山城は天守閣のみで、最近まで元城主成瀬家個人所有の国宝だった。天守閣は三光稲荷神社や針鋼神社に守られており、昨日まで犬山祭で大賑わいだった。
国宝指定5城のうち、1585年建築が確認されている犬山城天守閣が、現存最古の天守閣と認定されている。
木曽川でも、6月1日から鵜飼いが解禁になり、上流の橋から犬山城天守下手付近まで鵜飼い舟で賑わう。