筑波山(裏筑波周遊)
これまで何度も登った筑波山ではあるが、今回は当クラブでは、まだ一度も足を踏み入れたことのない北側の裏筑波エリアから、楽に筑波山に登る計画を立案した。最初の9/上旬催行計画は、雨天で断念。2度目の挑戦で、ようやく目的を遂げることができた。
計画書
実施報告

11/08(水)秋晴れの早朝、11人のメンバで厚木市を14人乗ワゴン車で出発。圏央高速道を東に向かい、4時間を要して、裏筑波観光道路終点の標高550m関東ふれあい道「深峰登山口」に到着。筑波山に登る主要な登山道6コースのうち、今回選んだ深峰登山道は、標高800mの双耳鋒鞍部「御幸ヶ原」まで、標高差250m、歩行距離1.2km、所要時間1時間弱の最短登山道である。しかし、桜川市真壁町から、筑波山の北に伸びる加波山・雨引山に続く尾根上まで、15kmほど「観光道路」が通じているが、現状マイカ-かタクシ-でアクセスする以外交通手段がない。そのため、年中大勢の登山者が押し寄せる筑波山域にあっても、裏筑波から登る登山者は極少なく、いつでも静かな山歩きが楽しめる。今回登りに利用した深峰登山道と下山に利用した筑波高原キャンプ場コ-スで出会った登山者は、いずれも数人だった。
筑波山には、日本建国の神話に登場する日本人の祖神イザナギ命とイザナミ命の2神を祀る男体山と女体山の2つの峰があり、この2つの峰に登って、2神の本殿に参拝して、初めて筑波山登頂完了となる。これは、約2000年前の第10代崇神天皇の御代から、筑波山をご神体とし、標高260mの南麓に筑波神社拝殿、男体山頂上に男大神(イザナギ命)を祀る男体山本殿、女体山頂上に女大神(イザナミ命)を祀る女体山本殿を配した筑波山信仰の参拝作法による。その上、筑波山麓では、毎年春と秋に、近隣の男女がこぞって集まり、大規模な「歌垣(かがい)」がもよおされていたことから、筑波嶺は恋の山として、飛鳥時代頃から、貴族あこがれのロマン溢れる山だったという。「筑波嶺の峰より落つる男女川恋ぞつもりて淵となりぬる」(陽成天皇の求愛の歌)をはじめ、筑波山をモチ-フにした恋歌が万葉集に25首も掲載されるなど、恋の山筑波山は、古代から富士山と並び称される名山・霊山だった。深田久弥が標高877mの低山の「筑波山」を日本百名山に選定した理由は、古代から続いた日本人の恋の山筑波嶺への強いあこがれの歴史を重視しての選択だったのだろう。
静かな樹林の中を約1時間登り、たどり着いた標高800mの御幸ヶ原で、昼食を摂った後、標高871mの男体山頂上に登って、男体山本殿を参拝した。男体山頂上への道は、岩が累々とした急登の上、登りと下りの登山者が狭い岩場で行き交い、標高差70m、片道300mの頂上をピストンするだけで往復50分も要した。
御幸ヶ原ケーブルカ-駅前広場に乗車を待つ数百人の長蛇の列を横目で見ながら、明るい樹林の緩い上り坂を、カタクリ自生地、ガマ岩、いくつもの無線中継アンテナ等を見ながら40分ほど登ると、女体山本殿と「日本百名山筑波山山頂 標高877m」と刻まれた石柱標識と一等三角点標石のある女体山頂上に到着する。頂上標識の先の大岩の上に立つと、眼下に霞ケ浦をはじめとする広大な関東平野から丹沢や日光の山々が一望できた。
頂上直下の「筑波高原キャンプ場コース(標高差360m、距離1.6km)下山口」の標識に導かれて、樹林内の緩やかな落ち葉の絨毯が敷き詰められた土道を70分ほど下ると、ワゴン車が待機するキャンプ場に到着し、本日の約4.5時間にわたる、平均年齢77.6歳のメンバ11名による筑波山登山が無事終了し、帰途に就いた。
11/8頃に、筑波山頂上付近の紅葉が見頃を迎えるという情報であったが、山頂付近は、黄色に色づくブナ、ミズナラ、ホウノキ、カエデ等の樹木が主力の艶やかさに欠けた地味な色合いの紅葉で、少々物足りなさを感じた。